旧東洋拓殖銀行(木浦近代歴史館2号館)

初めての全羅南道の旅3日目。
KTXで木浦(モッポ)へ行き、市の解説士であるMASAKOさんに市内を案内してもらう。

◆今日の訪問先◆
木浦共生園
韓国映画『1987』のロケ地
儒達山(ユダルサン)から木浦市を眺める
旧日本領事館

旧日本領事館でせっせと写真を撮る私に「これから行く2号館には、もっとたくさんの写真がありますよ」とMASAKOさんが教えてくれた。
それが、旧東洋拓殖銀行を利用した木浦近代歴史館2号館。

日本の統治が終わった時、多くの建物は壊されたが、この建物は日本の富の象徴として残されたそうだ。
建物の左側に無料駐車場がある。

1Fには、当時と今の木浦を写真で見比べるコーナーがある。
ほぼ同じ場所を写しているから、街の移り変わりを理解しやすい!

日本統治時代の木浦駅と昭和橋
1913年5月、木浦と夢灘(モンタン)間に鉄道が開通。
1914年、湖南線が全線開通。
1932年、駅前に昭和橋が架けられた。

上は、説明文に書いてあった内容。

最近の木浦駅
何年前の写真か分からないけど、今もだいたいこんな感じ。

昔の貯水池のようす。
貯水池の塀の上には、見張り役がたくさんいたそうだ。

水が盗まれるのを防ぐとともに、水に毒を入れられるのを防ぐためらしい。
だけど、1日じゅうボ~っと立っているのは、さぞ退屈だろう・・

はげ山となった儒達山。
朝鮮戦争の時、激しい戦いと燃料として木を切り倒したため、国中の山がはげ山になった。
さっき見たばかりの儒達山もこんな哀れな姿だった。

ほぼ同じ角度を見た今の風景
大きな岩の横にある展望台の向こうに見える島が、上の写真で3つ並んでいる島。

日本統治時代の街並み。
当時の木浦は、日本人が住む高級住宅街と、地元の人が暮らす地区がはっきり分かれていたそうだ。

ここは、現在の儒達洞(ユダルドン)で、当時は大義洞1丁目と呼ばれていたところ。
右側の2軒目は『江戸っ子』という名前の店!

現在の儒達洞は、当時の写真と比べると、ちょっと寂れた感じ・・

田内千鶴子と孤児たち
韓服を着て木の幹を握っているのが千鶴子♪
並んでいる子どもたちは、その後どんな人生を送ったんだろう?
 

2Fには、第二次世界大戦や朝鮮戦争など戦争被害の写真が集められている。
階段を上がる時、MASAKOさんが「覚悟してくださいね!」と言う。

日本では残酷すぎるという理由で、原爆資料館から撤去されるような、ひどいケロイドができた人の写真がある。

暴行され殺された少女たちは、切断された顔と胴体が逆になっていたり、内臓が飛び出している。
目を覆いたくなるような写真が並んでいる・・
戦争は人を狂気にするというが、その通りだと思う。

しかし、これらは戦争の事実であり、全ての人が知らなければならないことだと思う!
戦争でひどい目に遭うのは、立場の弱い子どもや女性、お年寄りなのだ。

ウェールズ留学中にロンドンの帝国戦争博物館で偶然、アウシュビッツ収容所の写真を見た時と同じように衝撃を受けた。
あの時は展示場が撮影禁止だったが、この時も犠牲者にカメラを向けることはできなかった・・

観光情報
名前 목포 근대역사관 2관(木浦近代歴史館2号館)
住所 전라남도 목포시 중앙동2가6

旧 東洋拓殖銀行(木浦近代歴史館2号館)へのルート