広島平和記念資料館

四国ドライブ旅8日目。
いよいよ最終日だ。

GOTOトラベル中止期間が2月まで延期された時点で、広島平和記念資料館は、閉館!
しかし、それ以前に見学を申し込んだ人は、予定通り見学できるとメールで連絡があった。

私は、9時~9時30分の枠で予約したので、ホテルを8時20分にチェックアウト。
資料館にいちばん近い市営駐車場は台数が少ないので、早い時間を選んだ。

分かりにくい場所にある駐車場だけど、迷わず到着♪
車は、1台も停まっていない。

道路の向こうに建物が3つ並んでいるけど、どれが資料館?
全部が資料館なのか?
出入口は、どこ?

横断歩道を渡ると、左手の建物は、国際会議場だと分かった。

真ん中と右手の建物は、どちらも出入口が封鎖されている。

立っている警備員に訊いたら、「右手の建物の北側から入れます」と教えてくれた。
よそから来た人は、どっちが北なのか分からないと思うよ・・
予約した人しか入れないけど、案内板くらい置けばいいのに!

近づくと、中からスタッフが1人出てきた。
建物内の仮設テーブルには、何人も座っている。

スマホで予約画面を出す前に、名簿から名前を見つけた。
2時間くらい滞在したけど、数人しかいなかったから・・


観覧は、一方通行。
被爆者の写真は、長崎とは比べ物にならないほど多い☆

でも、これくらいは必要だろう!
感受性の強い子どもが悪夢を見ても、仕方ない。
事実なんだから!

長崎が、小倉の代わりに原爆を落とされたことは、知っていた。
しかし、最初からアメリカが17ヶ所も選んでいたとは知らなかった。
より効果的に原爆の被害が出るまちを選ぶなんて、およそ人道的じゃない!

大きな字で、説明してあるのもいい☆
昔の説明文より、分かりやすい表現になっている!

関係者や遺族の言葉を添えてあるのも良かった。
家族を思う気持ちが、伝わってくる☆

原爆投下後に降った黒い雨のシミが残ったセーラー服。
幸い持ち主の女性は、病気を克服できたようだ。

当時11歳で疎開していた寄贈者は無事だったが、両親と兄、姉が全員自宅で死亡。
遺骨とともに掘り出された時計だ。
孤児となった寄贈者の苦労は、想像を絶するものだっただろう・・

熱線で溶けた人影などを市内6,000ヶ所で調べ、原爆の爆発点と爆心地を探し出した地質学者・長岡省吾。

資料館を作った長岡省吾の展示コーナーがあったので、資料館の成り立ちがよく分かった。
郷土を思う気持ちと原爆の被害を後世に伝える使命感がないと、できなかったことだ。

COVID-19で閉館しても、予約済の人を入れた決断は、よいと思う。
これだけの施設を使わないのは、本当にもったいない!
来て良かったと思える場所だ。

毎年、8月6日にテレビで見る平和記念公園のアーチは、思ったより小さい。
その向こうに池があり、火が燃え続けている。

平和の灯だ!
火種のひとつに宮島・弥山(みせん)の消えずの霊火が使われている。

原爆資料館から直線上にドームがあることを知らなかった!
雨が降っているので、残念だ。

ドームの近くで被爆したレストハウスが、今も現役で使われていることを初めて知った。
残念ながら、ここも休館中・・

広島市内には、いくつか当時の建物が残っているようだ。
ドームは、全面を足場で囲ってある。

傍まで行っても見えないから、歩いて行くのはやめた。
レストハウスの近くに、禎子の折り鶴コーナーがある。

戦争をしたがる人は、ぜひここへ来て自分の心得違いを認識してほしい!

施設情報
名前 広島平和記念資料館
住所 広島県広島市中区中島町1-2

広島平和記念資料館へのルート