初めての海外旅行

小学生の頃からツアーパンフレットを見るのが好きだった♪
ツアーに行きたいというより、知らない場所を知るのが楽しかった。

パンフレットを読み込むことで、都市間の移動距離や時間を大まかに把握できるようになるのもいい☆

私は、スイス旅行を夢見ていた。
アルプスの少女ハイジの世界に憧れていた♡

飛行機での旅行は、とても高価な時代。
そこで、比較的安価なシベリア鉄道を使って、行くつもりだった。

最初の本格的な旅行計画は、中学生の時に作った40日の旅だ。
シベリア鉄道は、ウラジオストクからモスクワまで片道一週間かかる。
滞在期間は、正味1ヶ月。

とてつもない旅行計画を見た先生や友だちは、呆れていたと思う。
ほかの生徒が作ったのは、せいぜい3、4日の国内旅行だった。

友だちの彼氏の自宅から見える美しい風景☆

23歳の時、アルバイトでためたお金を持って、1人で旅立った。
スイス・ドイツ・オーストリア3ヶ国を回る♪

1年間有効のオープンチケットだけを持って、初日の宿すら予約していなかった・・
無謀に思えるかもしれないが、この旅行のために何年も前から準備を進めた。

まず、ドイツ・オーストリアに友だちを作ることから始めたのだ。
当時はネットなどない時代なので、現地の新聞社へ手紙を書いて、友だちを募集。
そして、5人の友だちと文通しながら、時を待った。

若さと恐れを知らない好奇心の強さで、1人旅を楽しんだ☆
オーストリアのチロル地方にいた4人の友だちが頼り。

友だちの家へ泊めてもらう予定だったが、彼の両親は異性のアジア人である私を警戒したのか、宿を取ってくれていた(笑)
ひとりには、もったいないような大きなツインルームで夢のような一週間を過ごした。

インスブルック郊外のムッタースという小さな村のホテル・ベルクホーフ。

朝夕2食付のハーフボードという宿泊システムで、朝食に出るゼンメルという丸くて皮の固いパンがとても美味しかった。
ハムやチーズも、それまで日本で食べたものと全く違い、本来の味を楽しめた♪

夕食は、毎日ボリューム満点の3コース!
メインは牛、豚、鶏、七面鳥などバラエティに富んでいて、飽きることがない☆
この時、リタイアした英国人夫婦と毎日同じテーブルで仲良くなり、30年以上文通を続けた♪

チェックインの時、友だちの母親が「宿代は私たちが払うけど、食事代は自分で払ってね!」と言った。

私にしてみれば、宿代を持ってもらうことさえ、申し訳ないと思っていたから「もちろん、自分で払います!」と答えた。

ところが、チェックアウトの時になると、全額支払ってくれた!
一度だけ会った父親が、日本びいきだったようなので、見るからにお金のなさそうな私に、同情したのかもしれない・・

年下だけど、いちばん頼りになる美人のフェリシタスと私♪

4人の友だちが連携をとって、あちこちへ連れて行ってくれた。
アウトバーンを140km/hで走る爽快感を味わうことができたのも、友だちのおかげだ♪

日本人初登頂の山にも連れて行かれた。
まるでハイジのおんじの小屋みたいな建物を見た時は感動☆

正式な場に行く時のために、訪問着を一式持って行っていた。
着物を着て宿に戻ると、宿泊客が次々に「写真を撮らせてくれ!」と言うくらい、まだ着物がめずらしい時代だった。

ベルリンの壁が崩壊する前だ。
列車で西ドイツだったミュンヘン、アウグスブルクを訪問。

列車の中で特急券が必要だと分かったが、ドイツマルクを持っていなかったので、オーストリアシリングで支払うはめになった。

車掌がドイツ語であれこれ言うけど、さっぱり分からない・・
私が途方に暮れていると、同じコンパーメントにいた若い母親が英語で通訳してくれた☆

それをきっかけに、若い母親は「チョコレートを食べませんか?と勧めてごらん」と5歳くらいの娘に言った。

「はい、どうぞ!」と見慣れないアジア人である私に、おずおずとチョコレートを差し出す女の子。

「ダンケシェーン(ありがとう)!」と私が言いながら受け取ると、うれしそうに母親を見ているのが可愛い♡

今、コンパーメント式の車両は、ないかもしれない。
当時、ヨーロッパや英国では、個室になった車両(コンパーメント)がふつうだった。

ミュンヘン駅構内のようす

ミュンヘンからウィーンへ移動する時は、偶然にもオリエント急行に乗った。
アガサ・クリスティファンなので、うれしかったけど車両は、ふつうのコンパーメント。

語学力がないので、乗り合わせた人と会話を楽しむことができない・・
退屈しのぎに、折り紙で36面体を作っていた。

でき上がった時、ほかの乗客たちが「すごい!できたね!」と拍手をしてくれたのが、うれしかった☆
彼らから見ると、当時の私は中学生に見えたようだ。(苦笑)

ウィーンで一週間、街歩きを楽しみ、ザルツブルクへ移動。
ムリして行った大学で思いきり挫折感を味わった私は、大好きなモーツァルトの生家の前を何度も通ったのに、入ることができなかった。
数日間、サウンドオブミュージックの世界を堪能してから、インスブルックへ。

私はホテルを取るつもりだったが、友だちが私の懐具合を心配してくれ、インスブルック大学の寮の部屋を予約してくれていた。
インスブルックで一週間過ごした後、最後にチューリヒで2泊。

2ヶ月は滞在する予定だったが、思ってもみなかった理由のため、約1ヶ月で帰国。
原因は、魚が食べたい!という単純なもの。(苦笑)

よりによって人生初の海外旅行で、海のない国々を選んだため、魚を食べられなかった。
水槽で元気よく泳いでいるイワナのような魚を見て、「食べたい!」と食い入るように見つめたことが何度あったことか!

魚を食べたい一心で、日本では絶対に食べないマクドナルドへ行って、フィッシュバーガーを買ったこともある。

クラシック音楽が大好きな私にとって、憧れの街であるウィーンに一週間滞在している間も、頭の中は魚のことでいっぱい・・

ウィーンで24歳の誕生日を迎えた時は、中華料理店で白身魚のあんかけ料理を食べた。
ガマンの限界に達したことを悟った!

ウィーンにある大韓航空のオフィスに駆け込み、帰国便を予約。
こうして最初の海外旅行は、食い意地が勝ち、あっけなく1ヶ月足らずで終わった。

表紙は、チューリヒからインスブルックへの列車を下りた時、同じコンパーメントで仲良くなったユーゴスラビア人男性が撮ってくれたもの。

列車からスーツケースを下すのも手伝ってくれた☆
その後の内戦で彼がどうなったのか知ることができない・・