臨時首都記念館【朝鮮戦争について】

釜山へ何度か行くと、ふつうの観光だけでは物足りなくなる。
もともと歴史が大好きなので、そろそろ韓国の歴史も学んでみたい♡
そう思って検索した結果、おもしろそうだと思ったのが臨時首都記念館

朝鮮戦争の時、ソウルがあっけなく陥落したため、政府が一時的(1950−1953)に釜山へ移された。
韓国・国連軍は、釜山の手前・洛東江まで北朝鮮・社会主義連合軍に追い詰められたそうだ。

その時、大統領官邸として使われたのがココ。
元は日本統治時代の1926年に建てられ、第二次世界大戦後は知事公舎として利用していた由緒ある場所。
私は建築物にも興味があるので、ネットで見た赤レンガの美しい建物を見てみたい♪

レンガ造りの洋館って、憧れてしまう☆
そう思うのは、日本人ならではの発想らしいけど・・
英国人は、レンガ造りの建築物は見かけ倒しのつまらないものとみなしている。

館内は、土足厳禁。
入口で靴を脱いで、スリッパに履き替えるシステム♪
大人用スリッパは大き過ぎるので、子ども用を履く。(苦笑)

玄関の右手にある応接室。
ここで、政府関係者が会議をしていたんだろう。

当時の写真が飾ってある。

窓が多くて、明るい部屋だ☆
石造りの暖炉もある。

応接室から大統領執務室を見たら、額が掛かっていた。
コレって、昔の大型トラックなんかに書いてあったよね?
そういえば、最近は見かけないな・・

この人、誰?
分からないまま写真を撮っていたが、この人が大韓民国初代大統領イ・スンマン(李承晩)!

日本の歴史教育で近代史を教えないのは、本当におかしいと思う。
私も李承晩ラインという言葉しか知らなかった・・

日本人が建てた建物というのは、前もって調べた時に知っていたが、中へ入ると懐かしい気分でいっぱいになった♡

内装が、父の生家とよく似ているからだ。
奥へ続く廊下の天井が、ソックリ!

朝鮮戦争の写真
右下に横たわった人たちは、みんな死んでいるんだろう・・

戦争は、絶対にしてはならない!
いちばん苦しむのは、いつも女性と子どもたちだ。

2Fには、朝鮮戦争時の資料が展示されている。
一角には、小さな映像コーナーもある。

朝鮮戦争時代の映像を韓国語、英語、日本語の解説で見ることができる。
日本語を選んで1人で見ていると、小学生たちが集団でやって来て、館内を大騒ぎしながら動き回っていた。

ドカドカと階段を上がって来た子どもたちも映像に興味があるようだが、日本語なので誰も寄ってこない。
遠巻きにして見ているから、居心地が悪い・・

ここへ来る前、甘川文化村で出会ったお年寄りたちは、こんな苦労をしてきた人なんだと、胸が痛む。

避難民の収容所に入れる人は、まだ幸せ!
その何倍もの人達が、行き場もなく食べ物もない状況で生活していたそうだ。

体重の2倍はありそうな荷物を、上半身裸の男性達が運ぶ姿があった。
外国からの荷物は全て釜山に集まっていたから、海運業が盛んになったんだと分かる!

初めて見る朝鮮戦争の映像に夢中になって、写真を撮っていない。
次の2枚は、釜山博物館の映像を写したものだ。

屋外で生活する避難民たち。
屋根もないところで、生活するのがどんなに大変なことか!

疲れ果てて座り込んだ姉の背中にもたれて寝ている妹?
座り込んでいるのは、砂利がたくさんある地面なのに、気にならないほど疲れているんだろう・・

やはり映像のチカラはすごい!
今は、古い白黒の写真や映像をデジタル技術でカラー化することができる☆

写真でもインパクトが強いけど、映像はもっとすごい!
日本は戦争中の遺物を残す努力をしないが、韓国でも英国でも歴史を大切にしている。

昔を知ろうとしない人に良い未来は、決して来ない!

臨時首都記念館へのルート